syakuikukaのブログ

過去でもなく未来でもない「今」を話します

「だから死なないで」V2ソリューション

あの時は17歳、あの時に死んでいたら今の日本も我が子も大学時代の朝まで議論やり合った友達も知らなかった。富山から来た子というだけで、下宿で話し込んで夜があけた。富山県の高校は名前の付け方が単純で富山東という東の方からきた子だった。医師の娘で、私の親とは全然違っていたけど友達だった。私の父はAもBも知らなかった。敗戦前の昭和14年に生まれているから、英語は中学でもあまりやらなかったというが、とにかく手をすぐ出し威張る父から逃げられてホッとした。ハイハイと従えば黙っている。
あの時に死んでいても、父は後悔しないだろう。
わかりやすい富山では南の方は富山南といった。私達の時代に、東尋坊から飛んでいると、噂が流れてきたが、詳しい事はわからない。
いつも思う、あの時死んでいたら、もう忘れ去られているだろうと。
死んだところで、私の親は食い扶持が減った程度か、今も育てた金を返せと言っている。担任の化学の先生は、保身を重ねて嘘ばかりの報告をし、都合がいいからそれを採用されるだけだ。死人に口無し、いつか必ず白日のもとに晒すつもりだった。本 程度で済むと思ったら大間違いだ。

私は、完全に17歳で大人という生き物を、見限ったのだった。